枯れ枝の色たち。
 
 
 
 
■ モデムでないと繋がらないメールサーバーがあって、そのために古いカード型モデムを設定していた。56の季節が懐かしい。
 技術というのは相対的なもので、画像やデザイン以外のアプリならば、石(CPUのことです)は数年前のもので十分である。それよりもメモリを余計に積んだ方がいい。
 などと、生意気なことを言えるようになったのは何時からだったろう。
 夜通しWSを分解していた穴蔵のような仕事場。
 それをアトリエと書いたのはEPSONの妙齢デザイナであった。
 
 
 
■ 庭が白みかけてきて、遠くにある薄い高層マンションにはまだ灯りがついている。
 山一証券の元会長はバブルの頃、40階建てのウォーター・フロントの最上階にいたと、読売新聞のノンフィクションで読んだ。雪印の崩壊に関しては、北海道新聞が力作を出していて、最近はそのような本を眺めていた。同じ記者という職業であるが微妙に文体が違う。それは風土なのかデスクの個性なのか。
 読売の社食は古き昭和の匂いがする。
 私は、写真家と呼ばれることがたまにあって、その場合「先生」とついてくる。
 他に呼びようがないものだから、「センセ」とカタカナなのだろうと考えてもいる。
 とりあえず立てておけば間違いはないだろうという側面と、また、使い捨てである者を昔から先生と呼んだ、と山本夏彦さんは書いていた。
 世は商売。
 
 
 
■ 一月の街路樹は灰白色をしている。
 薄く茶が混ざってもいるのだが、それは僅かだ。