ロフトにあげるXJ-S.
■ せんだって、ピート・ハミルの「マンハッタン・ブルース」(創元推理文庫版:初出1978)を読み返した。
ジャーナリストが主人公の探偵小説、と纏めていいのか。どちらかと言えば典型的なペーパー・ブックの冒険活劇である。
訳者の高見浩さんも書いているように、濡れたように湿っているのは前半部。 別れた女が主人公に助けを求めてくる辺りまでである。
■ 主人公のジャーナリスト(というよりもコラムニスト)、サム・ブリスコーは New York のロフトにジャガーの+2クーペを飼っている。ベガスのカジノで当てたのだ。
ロフト周辺、外に停めておいて無事な筈はなく、電動のエレベーターで上まであげ、ベットはその隣である。
車高の低いジャガーは冬の New York では到底走れず、女から呼び出しをくらった時も主人公はイエロー・キャブを呼んでいた。
当時のブルックリン・ブリッジは道路全面に鉄板が敷いてあって、雨や雪の際には事故が多発したことが記されている。
すこし前の首都高速、その内周りの繋ぎ目みたいなものだったのかもしれない。
■ 12発のXJ-Sがどれだけ活躍するか楽しみにしていたのだが、出てきたのは二回だけだった。走らせる場面もほとんどなく、ニューヨーカー特有のスノビッシュな小道具というところだったのだろう。
どうもアメリカ人は、英国製に弱いところがある。
ジャガー創設者のライオンズもそれをよく知っていて、アグリーと揶揄されながらも件のEタイプに12発を押し込んだり、ZF製の3ATをくっ付けたりしていた。XJ-Sはその後継車である。
70年代のアメリカ車といえば、カマロやチャレンジャー、それからムスタングのマッハ1、ややマニア向けにプリマスのバラクータなどが浮かぶものだけれども、実際はオイル・ショックの影響から70年代半ばには既にエンジンは小さくなり始めていた。
東部のインテリ達、後にヤッピーと呼ばれていく彼らは、こぞって小さな車に買い換えていた頃合である。