平泉紀行。
■ 即身仏について書くのは、どうしてか気が重い。
今まで触れる機会はあったのだが、ずっと先送りしてきたようなところがあって、どこまでを書きどこを省くかという差配が難しいのである。
写真。
そんな機会は訪れないだろうが、今のところ恐らく写真は撮らないだろうと思っている。
■ 井上靖さんに「平泉紀行」という作品があった。
平泉にある藤原三代のミイラについて書かれたものだが、東北一帯にあるミイラ、即身仏についても並列に語られていた。
発端は、昭和25年朝日新聞社主催で行われた中尊寺の学術調査である。
その10年後、昭和35年に今度は毎日新聞社の後援で「出羽三山ミイラ学術調査隊」が組織される。新潟大学の山内俊呉、小片保、東北大学の堀一郎、修験道の戸川安章、早稲田大学の桜井清彦の諸氏が参加。毎日新聞社の松本昭氏が一切の采配を揮うこととなった。
松本氏は先に書いた「日本のミイラ仏」(臨川選書:1993)の著者である。
井上靖さんは特別参加という立場で、酒田で行われたミイラ二体の調査に参加する。
■ 井上さんはこんな風に書いている。
「生まれて初めてミイラというものを見て、二つの感想を持った。一つは、人間の肉体は消滅するのが自然であって、それとは逆に一個の物体と化して、生前の形のいくらかが、そこに残されているのを見るということは異様なものだということであった。出土品の壷を見るのとは大分わけが違った。
もう一つは、嘗てこの地上に生きていた人とまさしく対面しているといったふしぎな思いであった。私はその夜、ノートに詩のようなものを書きつけた」
(井上靖「日本の旅」平泉紀行:岩波書店:104頁)
異様なものだという感じ方は、まず、こちらの胸に落ちてくる。