冬の果て。
■ 森敦さんの「月山」をぱらぱら読み返していた。
中に「行き倒れのやっこ」で作った即身仏の話が出てくる。
やっことは、乞食のことである。
山に冬が近づくとあらわれるのだ。
「ンだ。吹きの中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生でいるもんださけの。肛門から前のものさかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ(と、その太さを示すように輸をつくりながら、両手を拡げ)鉄鉤を突っ込んでのう。中のわた(腸)抜いて、燻すというもんだけ。のう、ばさま。わァは見たんでろ」
「そげだ料理をこの目で見たんでねえどもや。山の小屋からえれえ臭いがするもんだ。行ってみたば、仏の形に縛られたのが、宙吊りにされて燻されとったもんだけ」(森敦「月山」文春文庫版:62頁)
■ 即身仏とは、真言密教の世界である。
時には罪人が放免される代わりに仏となる道を選択する、またはさせられることもあったというが、この辺りの区分は今となっては不分明である。
森さんは1951(昭和25)年、38歳の時に湯殿山麓にある寺に潜りこむ。
素性も定かでない放浪者、他所者としてである。そこで一冬を過ごした経験を1973年に「季刊芸術」に発表、翌年芥川賞を受賞した。その時62歳である。
作品化までに20年以上の時が流れているが、実はそれくらいの時間は必要だったろうという気はそろそろする。