世間師 4.
 
 
 
■ 昔からそうだったのだが、IT系の一部の論説には、ニューエイジ的な思索の方向が巧妙に含まれている。
 多層的またはレイヤーという単語が安易に使われているが、例えばSNS上でいくつかの層を作ろうとするのも、ここではない別の世界を想定しているものだった。
 レイヤー化する霊的世界。
 いわば曼荼羅である。
 
 
 
■ 眺めていると折に触れ、それが気配となって漂う。
 ある時点で一気に表に出ることがあって、それが個人の場合には社会的スタンスや配偶者、親や子を含めた家族との関係、または年齢などとも関係しているものだろう。例えば更年期にさしかかるといった分水嶺も理由のひとつになっているだろうか。
 時にグローバリズムや格差社会を語るけれども、批評もしくは構造的に見ている訳ではなく、不安を煽るための材料・前提に過ぎないと私は踏んでいた。
 背後には不思議な選民思想のようなものがある。その匂いを嗅ぐ。
 
 
 
■ 思想信条は自由だからどうでもいい訳である。
 二言目にはあれかこれかの二者択一を迫ってきたり、一定の社会経験のある筈のいい大人が、あらゆる常識をひっくりかえして社会の全てを再定義しなければならない、などと真顔で語っているのを見かけたらいかがすべきか。
 ほええ、村のオンニョロ様だ。
 と、数珠を握って空を拝んでいるのが、世紀末の混沌を潜りぬけてきた者の知恵だという気もしている。