私は、嗅いだだけ。
 
 
 
■ 小林秀雄が昭和15年に「我が闘争」の短い書評を書いている。
 小林は同書を読んで、その底にある個人的な「憎悪」というものを看過していた。
 
「これは天才の方法である。僕はこの驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、(もう一種邪悪なる #註)天才のペンを感じた。僕にはナチズムといふものが、はつきり解った気がした。それは組織とか制度とかいふ様なものではないのだ。寧ろ燃え上がる欲望なのである」
「ナチズムの中核は、ヒットラアという人物の憎悪のうちにあるのだ。毒ガスに両眼をやられ野戦病院で、ドイツの降伏を聞いた時のこの人物の憎悪の裡にあるのだ」
 
 山本七平氏の「小林秀雄の流儀」(新潮社:242頁)からの孫引きだが、新聞への初出時と全集版では微妙に表現が違うという指摘もある(註部分などが初出には省かれているという。私自身は未確認)。
 そうだったとして、当時の情勢下、検閲が入ったか小林あるいは編集部が自主規制したというところかも知れない。
 
 
 
■ 昭和15年と言えば日独伊三国同盟が締結された時分である。
 世は枢軸大歓迎のブームに沸いていた。提灯行列が続く。近衛首相がナチの格好をしてみせたり、ユーゲントの少年たちが来日して親睦を深めていた。ユーゲント歓迎の歌まで作られ、子どもたちが歌わされていたのである。
 
 
 
■ 戦後。それから20年ほど経って、小林は「ヒットラーと悪魔」という評論を書いている。中に「私は、嗅いだだけであった」という記述がある。
 世がひとつの方向になだれ込んでいるあいだ、ナチズムやヒトラーの本質的な部分、その匂いを直感的に嗅いでいたという意味だろうか。
 戦前と戦後で、小林秀雄はヒトラーに対する基本的認識を変える必要がない数少ない「例外者」の一人だったと山本七平氏は評している。
 山本氏の前掲書は、体調の故か、やや回りくどいものだった。
 小林を美化しすぎている気配も感ぜられるのだが、この「嗅ぐ」という言葉が私には記憶に残っていた。