気質の問題。
■ 辻政信という人物に興味を持ったのはいつからだったか。
何冊か本を読んだが、網羅したというほどのこともない。
士官学校事件やノモンハンの戦史を克明に辿ろうというところまではいかず、私の中では石原莞爾などと並んで、時折水の底から浮かび上がるようにして思い出すという存在だった。
■ 杉森久英さんの同書は1963年、辻政信の失踪直後に書かれたものである。
そこに資料的な価値とある種のバランス感覚が働いていたような気もする。
発行元が文芸春秋新社とあって、池島信平さんが編集長の時代だったのかもしれない。
池島さんはこんな風に書いている。
「『お前は、プチ・ブルだよ』
と、友人の一人は冷笑したが(なにをいってやがるんだい)と腹の中で思った。
後年、満州や大陸へわたくしは特派員などで出かけていったが、そこで往年の急進派のマルキスト諸君にたくさん出っくわした。特務機関や協和会に入っていて、肩で風を切っているのをみ見て、少々おかしくなったのを覚えている。
どうしてこうも容易に『思想』が変わるのであろうか。マルキストが戦争になると『八紘一宇』になり、戦後は民主主義者や平和主義者になっている実例を、いやになるほど商売がら見せつけられた。
思うに、これは人間の思想というより、『気質』の問題ではなかろうか。
天下の乱を好み、いつも民衆を引きずっていなくては承知できない『気質』があるようである」
(「雑誌記者」池島信平著:中公文庫版:40頁)
■ なにいってやがるんだい。
という感じはよく分かる。正確にはなにいってやがんでえ、というところだっただろう。
オクターブ高い壮士気取りの方々は何時の時代にもいる。
大上段から歴史や天下国家を論じたり、二言目には「その本質は」「イデオロギーは」と言ってしまう方である。
一面から眺めれば正論なのだが、その視野がやや狭い。
案外に権威や権力が大好きだというところも通底していた。