流行の帽子。
 
 
 
■ 大宅さんの書かれたものは、時と場合によってはとんでもなく鼻持ちならない印象を与える。
 エリート意識丸出しというか、なにがインテリだろうかなぁ、というところも正直なくもない。もちろん時代背景が違う。
 ただ、書かれているものの多くは、不思議なバランス感覚のようなものが背後にあって、針が極端に触れるということが少ない。オクターブ高くなろうとしないのである。
 これは何処から来るのだろうと時に思う。
 
 
 
■ 大宅さんは、知識人と呼ばれているひとたちは流行のシャッポを被っているだけだと看過したことがある。実は思想なんてないんだと。
 自分はどうかというと、無思想人であると。
 これはその時々で巧みに主題を変えながら生き延びていこうとする、いわゆる戦後知識層に対する強烈な反語だった。
 思想のための思想。自己顕示のための思想。
 人間の性格はそう変わるものではない。
 戦前の右への大「転向」から始まり、敗戦直後にかけて時代の情勢が急展開した時にこそ、その個人の持っているものがあらわれていたのだと。
 大宅さんは彼や彼女が語る流暢で難解な言葉よりも、その人物の軸を眺めていたのである。