没落する中産階級の子弟。
 
 
 
■ 緑坂にはこの表現が繰り返し出てくるのだが、この出典は誰だったか。
 確か大宅壮一さんも使っていて、一般教養のひとつではある。
 いつだったか書棚を整理というか、不用なものを選んでいて、黄ばんだ大宅さんの本が出てきた。
「共産主義における人間の研究」という原稿が面白い。
 長くて野暮だが引用させていただく。
 
「インテリ出身と労働者階級出身」より
「徳田、野坂、志賀、いずれも大学出身の知識人である、という事実を見逃してはならない。かれらはそろって没落した中産階級の家庭に成長した反逆児であった」
 
「かつての日本共産主義運動において、もっとも重要な役割を演じたものは、学生層を除いては、都市の労働者や農民の間の若い積極的な分子であった。かれらは、教育程度からいうと、高等小学校卒業の優秀分子から、中等学校中退者あるいはせいぜいその卒業者までの層であって、知識欲はあるがインテリではない。私のいう『類似インテリ』すなわち准知識層である。この層は大いに本を読むが、インテリのようにフィロゾフィーレンしない」
 
「あらゆる種類の『宣伝』の主たる対象になるのもこの層である。ほんとのインテリは疑い深く(略)、出版物でも、ベストセラーに入るためにはこの『類似インテリ』層を大量につかまえなければならない。
ナチスもこの層をあやつることによって成功したのだし、日本が戦場で、職場で『聖戦完遂』のスローガンでおだてあげ、またそれが一番よくきいたのもこの層である」
(「大宅壮一エッセンス 4-日本裁断」大宅壮一:講談社:79頁:1976年:初出『人間群像』昭和25年6月)
 
 
 
■ 近代史または戦後史をなぞった方でないと、ちょっと理解しずらいところがあるかもしれない。私もそうである。
 昭和25年と言えば敗戦から僅かに5年。この6月には朝鮮戦争が勃発している。
 学制や進学率の一覧などを眺めてもらえば分かるのだが、戦前の学校出というのはある種の特権的な存在のようなところもあって、中学に入るだけでその界隈では選ばれた少年であった。単に頭がいいだけでも難しいのである。
 また、昭和22年までは華族制度というものが存在している。
 歌舞伎役者を含めた俳優なども、鑑札がなければ舞台に立てなかった時代である。