Untitled.
 
 
 
■ Diane Arbus は1923年、マンハッタンの高級住宅街、セントラル・パーク・ウェストに生まれている。両親は毛皮商を営む裕福なユダヤ人の娘だった。71年に自死。
 没後10余年経ってパトリシア・ボスワースが記した「ダイアン・アーバス伝記」が注目を浴び、アーバスと彼女が写した畸形者(フリークス)たちは半ば伝説にまで昇華された。
 何年か前、その伝記を私は読んだ覚えがある。
 確か最後までは読み進められなかったような記憶もあって、なんのせいか、丁寧な訳文だったので文章それ自体の問題ではなさそうだった。
「セントラルパークの玩具の手榴弾を持った子供」1962
「旗を持つ愛国者の若者」1967
「Untitled」1970-71
 などの作品が印象に残っている。
 
 
 
■ アーバスの作品というのは、いわゆる「アメリカン・ドキュメント」の系譜に連なるものである。
 1929年10月24日「暗い木曜日」に端を発した株価の大暴落によって、アメリカ経済は深刻な大不況に陥る。F・Dルーズベルト大統領は「ニューディール」政策を採用し事態の打開を図ろうとした。その一環として、コロンビア大学のR・Eストライカー教授はアメリカ南西部の農民の窮状を写真によって記録・調査することを試み、チームが編成された。
 いわゆるFSA(再移民局、のちに農業安定局)の写真家たちである。
 撮影された枚数は、国立図書館に保存されたものだけでも27万枚を超える。
 携わった多くの写真家の中でも、ウォーカー・エバンス、ベン・シャーン、ドロシア・ラングなどの作品は時間の推移とともに即時性・記録性が濾過され良質なドキュメントに変貌していく。
「アメリカン・フォトグラフス」というのはNY近代美術館で1938年に展示されたW・エバンスの作品のタイトルだったが、ここでは被写体への私的な寄り添いが写真家の眼となって息づいていた。
 エバンス方向性を継承したのは、1950年代のロバート・フランクである。
 その後、スナップ・ショットが再び注目を浴び、時代の感性がややざらついた乾いたものになっていく様相を、ゲリー・ウィノグランドなどが表現している。
 
 
 
■ 60年代、社会の暗部、市民社会の亀裂のようなものに眼を向けたのがダイアン・アーバスの作品である。
 個別的なものこそ普遍に繋がる、という考えを元に畸形者(フリークス)や衣装倒錯者たちを彼女は撮り始めたのだが、発表当時は非難を浴び展示会の作品に唾が吐きつけられてもいる。
 ようやく理解されたかにみえたのが彼女の死後、ベトナム戦争が終わってからで、以来各地で展示会が開かれるようになっていった。