英国ごっこ。
 
 
 
■ 没落する中産階級の子弟の例にもれず、私も若い頃から英国かぶれであった。
 今思えば、英語圏の雄、アメリカに対する反発のようなところからきていたところもあったような気がする。
 背広の生地はどこ。靴はどこ。コートはどこそこのが良くて、これは塹壕で着ていたからDリングがあるのだと、そんな薀蓄をありがたがっていた。
 70年代終わり近く、TR-7という車がトライアンフから出ていて、買えもせず欲しがっていたことを覚えている。
 モダンな英国車というところに若造はやられたのだ。
 
 
 
■ TR-7は悲しくなるくらい非力な車だった。
 実際160程度しか出なかったんではなかろうか。同じリトラクタブルでも、初代RX-7なんかの方が圧倒的に速い。ただコーナリングの性能は案外だったらしく、こうしたところがマニア心をくすぐった。
 当時の英国車の常で信頼性には乏しく、随分経ってから国道沿いの中古車屋に並んでいるのをみかけたが、ワンレングスの彼女たちの手前か、誰も見向きもしなかった。
 最後の頃、ローバーの3.5リッターを積んだという話があって、これはこれでエアコンが効けば魅力的である。
 後年MGBにも3.5リッターが積まれたのがあるけれども、あれがクーペだったらなという思いは今でもある。
 あれはノンパワーのステアリングで、駐車時には死ぬほど重いというのだけれども、なに軽か何かの電動パワステを移植すればいいんじゃないだろうか。
 箱スカがそうしているようにである。
 このようにして緑坂は話が逸れていく。