本牧メルヘン 2.
■ 72年というのは、戦後史の澱みのような年だった。
連合赤軍が自滅した頃、といえばそれで済んでしまう。
アメリカン・ニュー・シネマに、バニシング・ポイント(71)という映画があるが、あそこに漂うやるせない閉塞感といえば分かる人には分かるだろうか。
コワルスキーが運転する白の1970年型ダッチ・チャレンジャーはラストで警官隊に突入して自爆する。
こうした救いのない終わり方というのは、当時の映画では随分と流行った。
ピーター・フォンダ演ずる「ダーティメリー/クレイジー・ラリー」(74)なんてのも、唐突なラストを迎える。
当時思春期に入りかけていた私など、そうした映画を眺めては薄く絶望していたような覚えもある。もちろん、ませた子供が背伸びをしていただけのことなのだけれども。
■「アカシアの雨が止むとき」という曲が60年安保闘争の敗北感を象徴している、という声があるとすれば、この「本牧メルヘン」は、うんざりと続く70年代の序曲だったような気もしないでもない。
その後就職したり髪を切ったり、組織の中でそこそこ偉くなっていこうとする彼らの姿を眺め、いい気なものだなと思ったことは何度かあった。