冬の夜の神々の宴 2.
■ 北村監督は例えばこのように書かれている。
「映画を撮るにあたっての野田さんの一番の課題は(略)
民俗・祭祀などを担う共同体(郷土)の、目に見えない『心意』をどう表現するかということである」
■ つまり、ザシキワラシは確かに里の人間には見えるのだけれども、外部の人間には一切分からない。
気配すら伝わらない。それを映像でどう表現するのか。
という野田さんの問題意識である。
心意というのは、気配よりも恐らくは広い概念だと思われる。
実は野田さんの「柳田国男の『民族芸術と文化映画』と宮田登の『映像民俗学の調査方法』」をめぐって」という論文はとても面白く、私はついつい印刷してしまった。
■ この気配という命題は、写真などの世界に額を突っ込んでいる人間にとっては大きなテーマである。
文章や絵画であっても事情はそう変わりがない。
心意までいこうとすれば、その土地の食べ物や美人の概念までも関わってくる。
ただ映像というのは連続性があるものだから、一枚ものの写真などとは文法が異なっているのだった。