運転はまたの日にしよう。
 
 
 
■ チャンドラーの短編集というのは、よほど好きな人間でないと全部を読まない。
 10代終わりか20代初めの頃、翻訳されているそれを揃えて眺めた覚えもあるが、その面白さを理解していたかというと疑わしく、半分は背伸びだったのだろう。
 
 
 
■ こういう描写がある。
「コックは唇をなめて、カウンター下のウィスキー瓶に手を伸ばした。そして自分用に一杯つぐと、ほぼ同量の水を瓶に足して、カウンターの下に戻した」
(「ヌーン街で拾ったもの」レイモンド・チャンドラー:稲葉明雄訳:創元推理文庫:175頁)
 このコックは黒人である。舞台はロスアンジェルス。
「ピート・アングリッチはスーツケースをひと蹴りして、
『まったくだモプシー、この鞄をあずかっててくれ』
そういいすてると、彼は出ていった」
 
 この後の一節がいい。
「爽やかな秋の夜を、二、三台の自動車がかすめて去ったが、歩道のほうは暗くて人影がなかった。黒人の夜警が街路にそってぶらぶら歩きながら、すすけた小さな商店の戸じまりを一軒ずつたしかめていた。向かい側に木造家屋がならんでいて、そのうちの二軒からにぎやかな物音がきこえていた」(前掲:176頁)
 
 
 
■ どうということもない描写なのだが、澄んだ秋の空気の中、街に溢れる人懐かしさが挿入されている、と書けば野暮だろう。
 前掲書が訳されたのは随分前だが、今でいうガードマン、夜警が街を巡回して廻る風景というものは、当時は一般的ではなかった。
 ウィスキーに水を足すともちろん薄まる。
 チャンドラーは、そのプロットよりもこうした箇所で読者を魅了していた。