視覚のかけら。 
 
 
 
■ 写真というのは記憶の集大成である。
 結局私がこれ(緑坂 5484)を撮ったのも、いつかどこかで見た、なにがしかのイメージが単なる引き金になっている。
 ジミーのリーバイスだったり、波止場のブランドだったり、思春期に眺めていた名画座のパンフレットだろうか。
 ちらちらと蠢くようなものがあって、それがシャッターを押させる。
 あまり後のことは考えていない。