国策の果て。 
 
 
 
■ 角田房子さんに「墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅」(中公文庫)という本がある。
 いつだったか、ある新聞社の地方版を眺めていたら、その土地から満蒙へ渡った人々の歴史とその後の推移につき、土地の方が出版されたという記事をみかけた。
 そういえば、と棚の中に手を突っ込んで捜したものである。
 角田さんの本は昭和42(1967)年に番町書房から出版されている。
 私が持っているのは価格が380円、昭和61年9版。
 いわゆる五族協和を教えられ、お国のためと信じ、中国大陸に渡った満蒙開拓団の最後を記載したノンフィクションである。 
 
 
 
■ 第一部 敗戦。第二部 帰国。第三部 戦後。
 本書は、ほぼ同じだけの分量でそのように構成されている。
 個人的に記憶に留まったのは、第三部戦後、例えば昭和26年あたりからの「在外私有財産返還運動」からのくだりである。
 26年と言えば朝鮮戦争による好景気の後、講和条約の締結前後。
 すこし引用させていただく。
 登場人物の会話である。

「『日本は戦争に負けた。外国に賠償を払わねばならない。だから日本人全部が、その財産や収入に応じて金を出せ』というなら、おれはこのとおり貧乏だが何としても金を出そう。だが、引揚者が海外に残して財産を賠償に当てておいて、その補償はしない、というのはどういうことだ。おれが今、食うや食わずで、電灯もない家に住んでいるのも、満州で築いた財産をなくしたからだ」
 
 吉太郎は同じ引揚者の松三にいう。
 
「松三は痛ましげに吉太郎の顔を見て、深くうなずいた。松三もまた吉太郎と同じに、満州で築いた財産の全てを失っているのだが、彼はそれとは無関係に、吉太郎に同情していた(中略)。
この男の気持は、敗戦を迎え、シベリヤに抑留された後も、戦前と変わっていないのではないか。妻子と共に、よりよく生きようとあがき続けている。
国というものにも、戦前と同じ気持を抱いているのではないか。心の底で国を信頼していればこそ、こうまで腹が立つのではないか。
松三は他のすべてにそうであるように、国に対しても腹を立てる力を失っていた。
彼の心は、外に向かって動こうとしない。松三の生涯はもう終わった、といえるのかもしれない」(前掲:232頁)