毎日犬肉を喰らいつづけたり。 
 
 
 
■ 柴五郎の父、柴佐多蔵の言葉は、恐らく下北にきた旧会津藩士に共通のものだっただろう。後に「100年の怨念」と呼ばれるそれである。
 
「予期せざる父上の激怒に触れ余の心戦(おのの)き慄えて、口に含みたる犬肉の塊を眼をつむりて一気に飲み干せば、胸につかえて苦しきこと限りなし。
かくして、およそ20日間、毎日犬肉を喰らいつづけたり。そのためなるか、あるいは栄養不足のためなるか知らず、春になりて頭髪抜けはじめ、ついに坊主頭のごとく全体薄毛となれり」
(前掲書より) 
 
 
 
■ 会津の侍は地元の人間にゲダカと呼ばれていた。ゲダカとは毛虫のことである。または会津のハト侍とも。野草でもなんでも食べるから、または豆ばかりを食していたからだとされた。
 例えば野辺地から横浜までの長い長い海岸沿いは、写真でみれば美しいが、その冬というものは、いい気になって別のところから分かったようなことを書いている私などではとても近寄れたものではない。
 あの辺り、冬季は零下20度近くまで下がる。海岸沿いを歩けば、飛沫を浴びて一瞬にして凍ってしまう。当時の人は熊や犬の毛皮を頭から被ってそこを歩いた。
 柴五郎という少年は、後に東京に出る。
 ひょんなことから幼年学校に入学することができたのだが、この辺りは作家の星亨一さんの書籍に詳しい。 
 
 
 
■ 戦記ものでいい仕事をされている劇画家の方がいて、確か滝沢秀峰さんだったと記憶している。滝沢さんの作品で、柴五郎の日誌を元にしたものがあった。
 比較的お若いときのものだろうか、絵柄もテーマも暗いのだが、妙に記憶に残っている。映画で言うなら、ペキンパー監督の西部劇にもタッチが似ていた。