さらば冬のかもめ 7.
■ 青森から下北半島に向かう時、港町をいくつか通った。
「斗南藩」と書かれた立札をみつける。下の字は読めなかった。
そこはひとけのない神社のようで、戻ればよかったのだが、Uターンできる場所を探している内に随分と離れていた。
■ 斗南藩とは、戊辰戦争で賊軍と呼ばれた会津の藩士とその家族たちが、明治3年その敗戦処理に伴って移住していった土地である。
本州で言えば十和田湖の右側、田子、三戸、五戸の辺り。八戸になると隣接した「八戸藩」の領となった。また、小川原湖を真ん中に置いた「七戸藩」を挟んで野辺、横浜などから北側。
現在でいうところの「十和田市」「むつ市」「野辺地町」あたりが該当する。
後は飛び地として、北海道にも領があった。
恐山のある辺りは一時斗南藩になっていたのである。
会津は実質28万石。それが3万石の小藩へ。耕作には適さない大地で、実際は7千石しかなかったとされていた。
■ 確か横浜へいく手前だから、野辺の先だったのだと思う。
祭が行われていた。
漁港の倉庫の前に大漁舟が飾られていて、そこには弁天様の姿がある。
私はカメラを取り出して頭を軽く下げ、何枚かを撮った。
子ども達が走ってくる。