草競馬流浪記。
■ 山口瞳さんにそうした名著がある。
まだ身体をそれ程壊されていない頃合だろうか、文章に山口節ともいうべき歯切れの良さと、そこはかとない不良の匂いが濃厚である。
何度か緑坂に書いたけれども、いわゆる「いかがわしさ」というものへの親和性というか、自分は所詮すこしはみ出たところにいるのだという自覚がその根底にあるように思える。
■ 私は競馬や競輪をやらない。
これでもバランスを採っているつもりだからである。
学生時代、芝の公園でテニスをしていたという知人がいて、極めてお堅い仕事についているのだが、彼は隠れ競馬ファンであった。
IBMのソフトで競馬に関するサイトを作っていたこともある。