鳥雲に入る。
■ 鬼平犯科帳のエンディングには、ジプシーキングスのやや抑えた曲が組み合わされている。赤や青、彩度の高い絵作りで、江戸の四季と暮らしをコラージュしていた。
実際は京都の嵯峨野周辺や寺で撮影しているのだが、松竹関係者による、テレビ媒体としては最良の仕事のひとつだと個人的には思っていた。
俳優や女優さんの背が高いのがたまに疵。
これは広重の構図だな、とにやりとしてしまうものもいくつかあって、例えばスタッフが桜の枝を抱え、レンズの手前で四苦八苦されていたに違いない。
そういえば大映の時代劇も、その構図や色彩が端的で綺麗だった。
あの美意識というのも、映画というメディア・媒体が全盛期だったからなしえたことなのか。
作家の村松さんが何処かで書かれていたことを思い出す。
■ 私は、壊れたかけたソファの上に横になり、空と桜を眺めていた。
今日は暖かくなる。
雲ひとつない淡い水色で、風の芯にまだ冷たさが残る。