夜のかたまり。
 
 
 
■ 東京をすこし離れることで、東京がよく見えるという話がある。
 昔、梅雨の終わりの頃、浅草辺りにある連れ込みに篭って、わたしはなんにもしたくない、という按配で外を眺めていたことがあった。
 平屋ないしは二階建のところを探すのは難しく、大抵はモルタルなのかコンクリなのかはっきりしない、ある種宮殿のようなホテルである。
 夜には豪華だ。
 一人でということもあったし、そうでないこともあった。
 窓から見える町の風景は日常そのもので、洗濯物がぶら下がっていたりする。錆びた自転車と。
 夜になっても白いものがそのままになっていて、他人事ながら心配した記憶もある。
 
 
 
■ そんなところで一日二日。
 全くの無駄なのだが、長い人生にはそういうこともあるようで、これではいかんなという気分が満ちるのを待っている。
 
 
 
■ つげ義春さんには「蒸発旅日記」という作品があった。
 場末の辺りに旅をして、そこのストリッパーとそのまま暮らしてみたらどうかなと夢想する、事実とも虚構ともつかないお話だが、つげさんの場合にはそのまま突っ切ってしまうような凄みがある。
 これを伊集院さんが解説の中で端的に指摘していて、つまりは極道モンなのだということであった。
 極道モンというのは実は相貌に顕れている。
 それでいいや、と腹を括っているのである。