■ 私はルームサービスでお粥を取った。
 覚醒剤の主成分であるメサンフェタミンを製造するにはかなりの規模の工場を必要とする。真壁の資料には詳しい製造方法に関しては省かれていた。
 ただ、大量の塩素系ガスが発生するので、一般的な都市部においては覚醒剤の製造は困難であるとされていた。現在の日本で大量に製造することがほとんど不可能に近いのは、そうした理由があるからなのだろう。
 この街なら可能かも知れない。
 上海には、急速な資本主義化の流れの中で幾つかの深刻な矛盾があらわれている。しかしそれらを含め、大抵のことなら呑み込んでしまう強靱な胃袋を、上海という都市は持っているような気がしていた。
 
 もともと、中国ではアヘンが麻薬の主流であった。
 アヘンすなわちヘロインは、第一に多幸陶酔感をもたらす。本来、末期ガンの治療などに使われる強力な鎮痛剤としての側面を持っているからでもある。自律神経に障害をもたらすのは当然であるが、道徳観や倫理観などの高等な感情が鈍化してゆくことも特徴とされていた。ただ、覚醒剤や他の麻薬にみられる幻覚や妄想などは出現しない。
 簡単に言えば、アヘンはぼんやりし、覚醒剤は尖らせる。つまり、覚醒剤は企業戦士に向いているということなのだ。
 戦時中、侵略する側が覚醒剤を打ち志気を高め、侵略される側にはアヘンを浸透させ判断力を奪い、「抗日」に至らないようしむけたという事実がそのことを寓話的にあらわしている。
 中国、上海という都市で、覚醒剤が作られ始めているということの背景には、急速な資本主義化と開放政策とがあるように思える。
 表で得る賃金の数倍を、副収入として夜の仕事で稼ぐ。
 そうしたことがある意味で当たり前のようになってきていた。私の仕事を手伝っていた助手のひとりは、昼間教師をしている。
 年収一年分に相当する携帯電話が爆発的に売れていること、上海に住む若者の多くが高額なポケ・ベルを持っているなどということは、インフラストラクションの順当な整備や発展を待たず、何段階も省略することによって経済構造が変化していることのひとつのあらわれなのだろう。
 いずれにせよ無理が出る。
 
 私は、上海が日本が辿ってきた経緯を、一気にしかも壮大なスケールで行おうとしているかのような錯覚にとらわれた。
 けれども、今が二十世紀の終焉にあり、しかもここが中国だということについて、その意味するものの全体がみえないことにも気付いていた。