■「子どもができたらここにくるべきですね」
走羽が言った。彼に家族があるようにも思えなかった。
「みんな楽しそうだな」
「中国では家族を大事にします。ここにいるのは皆〈小皇帝〉です」
「独生子女政策」、一人っ子政策のことだ。中国では爆発的な人口増加を抑制するため、子どもを一人に抑制するいう政策が取られるようになった。
子どもが一人の場合には国からの補助が受けられるが、二人目になると夫婦の年収に相当する罰金が課せられる。三人目になると三倍の罰金である。いつだったか、広告の助手をしている若い男に聞いたことがある。彼は二人目ができたというので悩んでいた。
中国は広大な国であって、地方には強い男尊女卑の風習が残っているところもあるという。そのようなところで子どもを一人に限定することは結果として女嬰殺しを招く。未就学児童も多い。
「人海戦術の国なんだがなあ」
「古い言葉ですね。それは朝鮮戦争までですよ」
走羽は厚いガラスのコップに入った褐色のお茶をゆっくりと飲んだ。
私の背中にはベレッタが挟まれている。胸には一本マガジンがあって、反対側のポケットには毛沢東のブロマイドが入ったままだ。
走羽もベレッタを背中のベルトに挟んでいる筈だ。
甲高い笑い声の響く明るい店の中で、そんなことに気付くと奇妙な気分になった。
「あの夢梁さんてのは恋人なのか」
「いや、うちのシマの娘です」
走ってきた男の子が走羽の脚にぶつかりお茶をこぼした。母親と思われる女が近寄ってきて子どもを抱き寄せる。走羽に謝ることはなかった。
私は彼の表情をみていたが、細い眼が一瞬硬くなったように思えた。
「今の上海の関心は、金と小皇帝、あとはペットです」
ハンカチを取り出し、走羽はズボンを拭いている。