■「まともな稼ぎでは買えない仕組みになっています」
 それはそうだ。
「彼女たちを口説くには携帯電話をみせればいいんです。あとは直接的な話題を避け、無難な自然の話をするのがいちばんです」
 走羽は興味なさそうに説明をする。電話と自然という関係がよくわからなかった。
 
「上海娘というのは見栄っ張りです。お金に弱い。けれども、自分は野鶏ではないというプライドもある。性的な匂いのする誘いには過敏に反応する。動物や花などの話題が一番良いのです。さらに、この開放経済の中で成功した個人経営者なのだという雰囲気と、さりげない嫉妬心を利用すれば容易に落ちるのです」
 走羽の説明は本を読んでいるかのようだった。言われてみればそうなのかも知れない。南京路にはサングラスをかけた男や女の姿が目立った。
「こうした商品が並ぶようになったのはここ数年のことです。それまでは人ばかりで、買いたくなるようなシロモノはひとつもなかった」
 多分その通りなのだろう。
 
「食事をしましょう」
 走羽が通りの終点、道に跨るように建っている灰色のビルの中に入った。
 和平飯店、上海の発音では〈ウビンウエテイ〉である。
 旧日本軍が駐留していたこのビルは現在ホテルになっている。上海におけるアール・デコ建築の代表だと言われていた。通称サッスーン・ハウスの名の通り、一九二九年ユダヤ系イギリス商人であるヴィクター・サッスーンによって建てられた。「サッスーンなしで、上海を理解することはできない」と中国の有名な歴史学者は書いている。
「上海市役所、昔は香港上海銀行と呼ばれていましたが、キャセイ・ホテル、メトロポール・ホテルなど、この一帯にあるネオ・クラシックな建築物の多くはサッスーンによって建てられたものです。アヘン王のね」
 走羽は磨かれた真鍮のドア飾りを指でさすりながら説明した。サッスーンはもともとアヘンの密輸で膨大な財をなした。
 
 走羽はエレベーターの前にゆき、ボーイに指示している。
 龍鳳庁(ロンフォンテン)と書かれた店の中に入る。ペパーミントグリーンのクロスと壁の白色が独特の雰囲気だった。天井には金色の鳳凰の浮き彫りがあり、油で曇ってはいなかった。
 四川料理のいくつかを注文した。名前はわからない。蟹は季節が違うということで頼めなかった。
 走羽は赤いトウガラシが浮いた重慶火鍋(ジュンチンフォグォ)を平気な顔で食べている。私は汗をかきながら、中に浮いた魚の身を箸でつまんだ。
 煙草を吸いながら、走羽は黒ビールをゆっくり飲んでいた。
 店の中から黄浦江がみえた。浦東の高層ビルも銀色に光っている。今は帆を上げたジャンクをみることはできないが、大小の船が鈍く光る川面をゆっくりと往来している。
「こういうのを右傾的平和というんでしょうか」
「どうかな」
 
 龍の名のつく店で外灘の風景を見下ろしていると、私は不思議な不安に襲われた。それは、ここにいるのが馴染まないといった気分である。今まで馴染んだと思ったことがないのにも気付いている。