■ 電圧変換のアダプターを使い、サブノートを使っていた。フロッピーを使うとき一々ドライブを接続する必要がある。
夜の九時を廻った頃か、交換から電話が入った。
出てみると葉子である。
「ファクスみたわ」
葉子のいそうな場所のいくつかにファクスを入れておいたのである。ホテルの中にはビジネスセンターがある。
上海で連絡を取る場合、相手のいそうなところにファクスを送るのがもっとも確実だった。電話は爆発的に増えているが、開設には一年から二年ほど待たされるのが普通である。家庭用一般電話は百世帯に一台、公衆電話は手動交換方式で、上海の街頭でみつけることは簡単ではない。中国全体の人口比電話加入率は○・九パーセントと言われていた。
回線が不足すると携帯電話が選ばれる。価格は一台が中国人の年収に相当する十二万円程度である。成功者の証として、上海の街角では携帯電話を持ち歩く姿が目立っていた。
「どこにいたんだ」
私は葉子に尋ねた。
「待って、これからゆくわ」
電話が切れた。車の中からのようだ。
私はノートの電源を切り、窓の傍に立った。
前に泊まっていた時とは階数が異なる。部屋の造りは似たようなものだ。
上海大厦は一九三四年に建てられたマンションをホテルに改造したものだ。上海ホテルとも呼ばれていた。古くて遅いエレベーターには時として閉口するが、バンドの夜景が一望できた。旧租界時代の建物がライトアップされ、この時間でも街はざわめいている。
三十分程するとまた電話が鳴った。葉子が下に来ていると言う。
上着を手に持ち私は部屋を出た。毛沢東のブロマイドをポケットに入れた。