十九 ジェット式
■「おまえいつから上海にゆくんだ」
ブランデーを嘗めている吉川が私に尋ねた。
「明後日くらいかな」
思いつき、私は吉川に尋ねてみた。
「文化大革命ってなんだったんだ」
こんな質問を自分がすること自体不思議だった。吉川は曖昧な頬をみせた。唇のあたりがすこし動き、言葉を捜している。
「そうだな、子どもを使った権力闘争か。すこし違うな」
一九六六年から七六年までの一○年間、中華人民共和国は未曾有の大混乱にみまわれた。「動乱の十年」といわれる「プロレタリア文化大革命」である。
文革は毛沢東時代の特徴をもっとも顕著に示している事件だった。というよりも、長期にわたる政治過程そのものである。
「魂をゆさぶる真の革命、世紀の大実験、とか言われたもんだ。おれもわくわくしたんだけどな」
吉川はノンセクトの過激派学生だった。六七年、わが国の首相によるアジア諸国訪問が企図される。それを阻止するため、多くの学生が羽田周辺に集結し機動隊と衝突した。いわゆる「羽田闘争」である。そのさなか、京大の学生が機動隊の車に轢かれ死亡する。
吉川は都内の高校生で逃げ遅れたところを逮捕された。その時始めて、葉子の父に助けて貰ったのだという。
当時、毛沢東は「大躍進」政策の完全な失敗によって実権も権威も失いかけていた。国内では「調整政策」を推進する劉少奇が政治的論争と経済を分離し、国内の風紀の乱れを「四清」運動などによって浄化しようとしていた。