■ 第一次大戦以後、世界戦争は総力戦の時代を迎えた。
従来の武力中心主義の戦闘から政略戦・思想戦・経済戦など、国家の総合力をもって戦う戦略思想が主流となった。国家総力戦思想である。これは姿を変え今日でも保持されている。
それに対応して昭和二年「秘密戦資材研究室」、別名「篠田研究室」が陸軍科学研究所に設置された。当時は金融恐慌直前であり、青年将校などの間に国家主義思想が浸透しつつある時期でもある。
「これが何だかわかるかね」
葉子の父は何枚かの写真を私にみせた。
それは巨大な茶筒のようなもので、そこからホースのようなものが出ている。散水車に搭載された写真もあった。
「石井式濾水機だよ」
この濾水機は当時としては画期的なものであった。
各種細菌を人体に無害な一部のものを除きほぼ完全に除去することができたという。素焼きの濾過管の中を高圧で水を通す。濾過管の表面に付着した汚物を回転ブラシでこそぎ落とすという仕組みになっていた。
葉子の父が取っ手を廻す仕草をする。石井式というのは、考案者である石井四郎の名をとったものとされている。
「満州では必需品だったのだよ。細菌戦にもね」
石井四郎は関東軍防疫給水部、いわゆる七三一部隊の軍医中将である。彼はわが国における細菌戦研究の創始者とも言われる。
試験的ではあったにせよ始めて毒ガス攻撃がなされたというノモンハンにおいて、この濾水機は飲料水の確保に絶大な効果を発揮し、後に全軍に配給されることとなった。
ハルピンの七三一部隊とともに、南京には「支那派遣軍防疫給水部」通称一六四四部隊があった。そこでも細菌を使った人体実験が行われていたことが今日では明らかになっている。
「登戸では一六四四と合同実験を行っていたのだよ」
「捕虜かなにかですか」
「いや、思想犯や強制連行されてきた朝鮮人など一概に特定はできない」
私は何故葉子の父親がそのような話をするのかいぶかしく思った。
しかし、おぼろげな一本の線が背後にあることだけは感じられる。