二八 エピローグ
■ 秋がきた。
空が高くなり、上着を手に持つことがなくなった。
私は煙草を軽いものに変えた。すこしだけ髪を伸ばし、古くて安いフランスの車を買った。煩くてドアもよく閉まらない。暫くはそれでも良いのだと思っている。
あの後、私と葉子は警察病院に運ばれた。
私は大部屋だったが、葉子だけは個室だった。
真冬の横浜港に見事な亀甲縛りのまま裸で飛び込んだのだから、熱を出しても不思議ではない。葉子は軽い肺炎になったのだ。
水上警察の船の上ですぐに毛布を被ったが、縄を解くのに時間がかかった。乗組員が遠慮したのか、結び目を捜して手間どったのだという。縄は股の間にも廻されていたのだ。
私は踵と肋骨にヒビが入っていた。肩甲骨の上が割れ、止めてある金属が歪んだ。銃弾はそこで向きを変えたらしい。金属を取り替えたが、肉が盛り上がるにはまだ暫くかかる。
葉子は薬を抜くために特別の治療を受けていた。
治療自体どんなものかは知らないが、薄い耐性が出来ていたのだという。覚醒剤も含まれているのだろう。
奥山が見舞いにきた。
「黙っていて、申し訳ありません」
彼は厚生省管轄の麻薬取締捜査官だったのだ。神奈川分室に属している。
桟橋近く、水上警察署の四階にある小さな部屋で私は何度か事情聴取を受けた。
組織は別だが捜査は合同でなされたらしい。警視庁と神奈川県警との仲がそうであるように、厚生省と警察庁が協同で事件の解決を図ろうとすることは、通常ほとんどあり得ない。
役人特有の縄張り意識のおかげで、各種の広域捜査の場合には円滑にゆくことの方が珍しいと言われている。今回のようなことは極めて異例であり、背後に何か別の力が働いていたのかも知れない。
覚醒剤に関しては、コントロールド・デリバリー、いわゆる、「泳がせ捜査」ということが特例として認められている。私は囮として使われていた訳だが、不思議に腹も立たなかった。
松葉杖をつきながら入り口の階段を昇る時、彼は眼鏡のツルを何度も持ち上げて眺めていた。決して手を貸そうとはせず、それが流儀なのだろう。
窓に格子のある部屋で私は何度かカツ丼を食べた。