■「はじめまして。いつぞやは連れが大変失礼しました」
北沢の声だ。
テロリストと話したことは一度もない。
声には知性が出ると、ある写真家が言っていたことを覚えている。
北沢の声にはある程度の教養が滲んでいるかのようにも思える。
錯覚だ。
一度に酔いが醒めてゆく。
カーテンの影から下を覗こうとした。
通りの向こう側、僅かに離れたところにスモールを付けた車が一台停まっている。
「そう、車の中からなんですよ。あなたとは始めてですねえ。これからそこに泊まるんですか、いや、彼女はいい女ですよ」
何を言っているのか、女のことだ。
「それで、何の用だ」
「いや別に、唯の挨拶ですよ。ああ、そうそう、葉子が大変お世話になったそうで、これから連れて帰りますから」
「なんだって」
「わたしの元に戻りたいというものですからね、今傍にいるんですよ」
北沢の声は低い。ゆっくりと、そして深い。
その深さの中に濁ったものが混ざっている。
「ところで、明日お時間ありますか。あなたの持っているフロッピーを持ってきてくださいよ。葉子の顔が薬で溶けてしまったのをみるのはあなたも嫌でしょう。場所はまた電話します」
そこでプツリと電話が切れた。
窓を開けベランダに出るとハイビームにした車が加速するのが見えた。
奴はその中にいたのだ。
恐らく葉子がさらわれた。
藤沢の外れの実家には母親だけがいると葉子は言っていた。
その番号は手元に無い。フロッピーだって。なんのことかわからない。
私は椅子に座り、ウィスキーをグラスに注いだ。
窓から風が入り、髪を乱した晃子が立っていた。