十六 造花
■ 友人から送られた文献のリストは、そう多いものではない。
カーンバーグとかマスターソンとか、ついこの間と言っても良い位概念としては新しいものなのだそうだ。東京駅の傍の本屋で大抵は手に入る。
宗教関係のところにすこし、それから角の棚にすこし、定価を眺めては領収書は出ないだろうと諦めた。
夜になって八重洲の地下街で食事をし、それからボタンダウンのシャツを一枚買った。昨年のものらしいのだが半値になっている。近頃、腕にアームをしている。シャツがそのように造られている。階段のところに座り込んでいる袋を持った男達をちらりと眺め、外に出た。
部屋に戻りヒーターのスイッチを入れ本を捲った。
定義からしてよくわからない。
「突然裏返しになる」という記述があった。
「予定した路線にはすぐに乗るのだが、そこで喜んでいるとその下にある不安定なものが露呈されてくる」
「安定した対人関係が結びにくい」
「半分鬼であり、半分人間でもある」
「神経症と分裂病の境界に属する人格のありかた」
なんのことやらわからない。
私は、地下街の花屋で造花を一本買ってきた。背の高いグラスに差し、水を入れるべきかどうか迷った。水は入れず机の上に置いてみる。
壁に反射した光の中で、すこしくすんだ赤色の薔薇は静かに息をしているようにみえる。だが造り物なのだ。指で触れると乾いた音がする。
考えるのをやめてぼんやりしていた。小さなグラスに酒を垂らした。
ウィスキーは生で飲む。
その方が旨いからだ。嘗めていると水が欲しくなる。
黙っているとチェイサーをよこさない店が多いが、それがもともとの作法なのだろうか。
水の味も酒を左右する。私はフードのついたトレーナーを着ていた。
足が冷たいが、靴下を履くのははばかられる。