■ 退院して仕事に戻った。
「用があったらいつでも呼んでね」
葉子はそう言い残した。ポケベルを持ったローレン・バコールなんているものか。
入院費を払う時、奥山がきたかと尋ねたが、真ん中から分けた髪の長い会計担当は曖昧な笑顔でごまかした。
部屋に戻り、郵便と電話を整理し、次の日から事務所に出た。
入院は車の事故ということにしてある。
相も変わらずどうでもいいような仕事ばかりが溜まっている。ひところに比べればそれでも廻るようにはなっているが、それでも単価は切り詰められ、手持ちのコピーの引出しだけで充分だと思われた。勝負に出るような雰囲気が何処にもないのである。
私はキー・ボードの掃除を始めた。画面もそうだが、指に触れるところが汚れていることが気になることもある。
「やる気になったんですね」
事務の娘が言う。紫の混じった口紅を塗っている。
この娘もそろそろかな、と思いながら五つばかりを仕上げ、パソコンのファイルに落とした。あらかじめ形のあるところに事務的に入れる。写真も手持ちで済ませた。あまり凝ったものは近頃遡及力がない。
MOを事務の娘に渡し、夕方過ぎに外に出た。芝にある図書館に寄ることにする。
何を調べていいのかはっきりしている訳ではなかった。
適当に本棚を歩き、思い付くものを借りては隣のホテルまで歩いた。
そこから見上げるタワーは、成程こんなに大きいのだなと思える。地下で中華を食べ、一階のテラスでコーヒーを飲みながら、入り口に飾られている薔薇の種類についてすこし考えた。あちこちに掛かっている布に緑が多いのはクリスマスが近いからなのだろう。