十二 狐眼
 
 
 
■ ドアの内側に転がった。
 すこし離れたビルの非常階段に、つば広の帽子を被った細い人影がある。
 更に撃ってくる。外れた。人影は消える。
 吉川の背広の襟をつかみ、なんて重いんだと唸った。廊下へ引きずりこんだ。
 私は管理人室へ走った。銃をつかんでいる。倉庫の内側の階段を降りた。
 目眩がする。走るのはイヤだ。
 駐車場に出ると、向かい側の赤いテールに人影が走るのがみえた。
 女のようだ。
 カマロのドアを開けようとする。葉子がそこにいた。助手席に葉子は転がる。
 私はアクセルを踏んだ。すこし濡れた路面でカマロが斜めになった。
 大きく首を振り、滅んでいった巨大な恐竜のようにあえいでいる。
 黒いサーブだった。離されてゆく。
 加速した。
 全ての信号を無視し、直線では一四○でた。しかも飲酒だ。
 羽田から川崎に入った。
 焼肉屋の赤い看板を過ぎた。
 左に曲がり、工場地帯の広い通りに入ってゆく。製油所だろうか、パイプラインが内蔵のように絡み合っている。
 カマロのガラスに白い罅が入る。
 女が撃ってきている。
 雨が酷くなってきた。前がみえない。
 陸橋を越えた。サーブは白い水煙を高くあげている。
 路面に大きなワダチがあった。
 ゆるい右カーブだ。
 サーブの内側に入った。
 窓を開け、釣り上がった眼の女が銃口を向けている。紐で止めているのか、風圧で帽子はひしゃげていた。
 後ろに下がった。
 先はT字路だ。
 サーブの横腹が僅かにみえたような気がする。
 私はカマロのアクセルを床まで踏んだ。
 僅かなタイムラグの後、ボンネットの蓋が開いた。
 吠えながら全身が震えた。
 鈍い震動があって、ハンドルが軽くなった。
 サーブの下腹がみえた。シャフトのない、のっぺりした腹だった。
 回転するタイアが黒く光っている。奇麗だと思う。
 ハンドルを左右に切り、踏み潰すように両足でブレーキをかける。ロックした。
 カマロは尻から壁面のブロックにぶつかり、暫くすると止まった。
 サーブは横になって太いコンクリの橋桁に頭を突っ込んでいた。
 エンジンが車体に潜りこんでいる。
 傍によってみる。男がハンドルに顔を押し付けていた。褐色の肌だ。
 両手できちんとハンドルを持っているのが奇妙だ。
 腰から下は潰れているのだろう。血はみえない。
 その時、脇腹が攣ったような気がした。
 振り向くと、女が光るものを持っている。細いナイフだ。
 髪がほどけ、眼が赤くなっている。
 女は脚を開き腰を屈め、片手を後ろに隠すと声を出さずに一度笑った。
 私は動けなかった。
 硬水のような恐怖があった。
 次は頬か喉だろう。
 背後で短い音がした。
 二回続く。
 ゆっくり女が倒れる。
 葉子が背中から撃ったのだと気付いた。
 私の腰のベルトが二つに切れていた。
 自分の血というのは暖かい。
「どうして女がでてくるんだ」
「あんなの、中国の狐みたいなものよ」
 葉子の肩を借り、車に戻った。
 脚がぬるくなってゆく。雨と混ざる。
 黒い箱のような工場から守衛が出てくるのがみえた。
 ライトを消し、葉子はカマロを出した。
 どうせ灯かないんだ。