■ 吉川の声がまた変わった。
「俺は馬鹿になって仕事をした。あんなものは夢だったんだ、俺はもう大人なんだ、と思ってな。マニラにもいったぜ。資本主義の尖兵としてな」
 そこまでを一気に話した。
「戻ってくるとな、判を押せというんだ。わたしには別の夢があるんだといいやがる」
「太っていたか」
「いや、なんだか奇麗になっていた」
 
 男と別れる前の女は例外なく奇麗になる。張り詰めた想いが内側から滲んでくるのだという。
 そうだろうか。次の男のための準備かも知れない。
 黒い海を船が横切ってゆく。オレンジ色の細かな電球がゆっくりと動いている。横浜から戻る車の中で、晃子がラジオを消してくれと言った。窓を閉め、カマロは流れに沿ってゆっくりと走っていた。シートにもたれ、晃子が古い歌を小さな声で歌っていた。晃子の声は低い。なんて歌なんだ、と尋ねると、水色のワルツっていうのよ、と答えた。私にはブルースのように思えた。
 
 その時、遠くでタイアの割れる音がした。
 あたりの空気が収縮し、密度ある水のようになった。
 脇をみると吉川が横腹を押さえている。
 押さえた掌から赤黒い色が広がっている。
 血だ。
 雨になった。