■「北沢という男に昔の女が襲われた」
「細いナイフを使い、二ミリ程の深さで、胸と背中に長い印をつけながら楽しむんだ。その筋の者にしちゃ随分出来がいいじゃないか。女に始末までさせている」
 葉子は眼を開いた。女という言葉に反応したのだ。
「北沢の今の女のひとりなんだろう。よく仕込んである」
 そこで言葉を区切った。ビールをちびりと飲む。
 葉子は煙草に火をつけた。顔色は落とした照明に透けてみえる。
「昨夜は薬を飲んだのか」
 頷いた。
「いつから飲んでいるんだ」
「追われる頃から」
 葉子の声が別のものになった。低い部分が表にでている。
 
「抜けたのは四月。その時妊娠したのよ」
「銃は」
「いくつもあったわ」
「始めは知らなかった。横浜にもいくつか市民運動のようなものがあって、サークルはそこと連絡を取りあっていた。あなたは笑うでしょうけど、サークルはフェミニズムを研究するものなの。そこで従軍慰安婦のことが取り上げられていたのよ」
 私は薄く笑った。お嬢様のお遊びもいいかげんにして貰いたい。
「その運動をやっている人たちの中に、CPPと関係のある人がいたの。CPPは募金を横流ししていた。私達が集めてきたお金を何処かに持ってゆこうとした」
 懐かしい思い出を語るように葉子は言葉を並べていた。それからビールを一口飲み、グラスを置くと、
「あなたは晃子さんを愛しているの」
 と、唐突に尋ねた。丸い瞳をしている。私は答えなかった。
「その事務所は何処にあったんだ」
「今はもうないとおもう。横浜の税関の傍のビルだけど」
「トカレフは何処にあった」
「一度だけ金庫の中を覗いたら、四角い箱に入っていたわ。わたしが持ってきたのは北沢のサーブのトランクから」
 サーブに中国女か。なかなか良い趣味をしている。
「北沢ってのは背広を着るのか」
 不思議そうな顔で葉子はこちらをみる。
「そうね、一度だけみたことがあるわ」