ガラスの秋 4.
 
 
 
■ まだ30代半ばの頃、読売新聞社が運営していたパソコン通信、YOMINETで随分と遊んだ。
 いや、遊ばせていただいたというのが正味である。
 ある時、なんとか君事件といういうものがあり、なんらかの理由で読売関係者が解雇されたとかいう話があった。
 ある社がそれを記事にしたのである。
 
 
 
■ 関係者というのは便利な言葉だった。
 自転車に乗って配っていてもまたそう呼ばれる。
 当時私は、いささか途方に暮れた中年前期を送っていたので、ここぞとばかりに運営陣を批判した。
 新聞倫理綱領だったかを引用して、あれこれやったこともある。
 
 
 
■ けっ、屋上でキンタマの陰干ししてやらあ。
 とか、運営に対するボードで書いた後、何故かは知らぬがDosベースのPCが壊れアクセスができなくなった。
 数日考えた後、事務局に電話する。
 えーと、IDがこれこれの北澤ですが。
 電話口で大笑いされ、いやあコーイチさん、とりあえず金玉というのは公の場では口にしないで欲しいですねと諭された。