毎日がオトシマエ 4.
 
 
 
■ まだ20代の頃だったと思う。
 第三京浜を横浜から戻って、等々力あたりで一服をした。
 屋台のラーメン屋があって少し硬い麺をすする。
 そこの親父がいうには、手前にあるジムに高倉健さんがよく通ってくるという。
 藤竜也さんもでかいベンツでくるよ。
 
 
 
■ その頃目黒通りは闇が多く、休日の夜ともなるとほとんど人影はなかった。
 ベンツ、と言ってもSクラスの6.9とかが法外な値段を付けていた頃である。
 私はと言えば、国産の2リッターセダンの足を硬め、シビエのハロゲンを付けてナルディのウッドで廻していた。タイアはピレリである。
 乏しい財布の中から、精一杯背伸びをしていた訳だ。
 
 
 
■ そんなことはどうでもいい。
 その頃私は高倉さんを特別格好がいいとは思っていなかった。
 が、妙に思い出されるのである。
 どう老けるかというのは、40を過ぎた辺りからじたじたと実感される事柄である。
 そして男の場合、半分は救いがないのである。