紅子。
 
 
 
■ 何年か前、千鳥ガ淵の桜を眺めにいったことがある。
 もちろん夜だった。それもほとんど明け方に近い。
 その時間帯でなければこの季節、そうしたところをうろつく訳にもゆかず、勤め人でないことは半ば無益だと知るばかりだった。
 一本煙草を吸う。
 水を飲んだりする。
 向こう岸には、ライトを消された後の薄桃色の塊が重なっていて、それは握り拳がいくつも連なっているかのようにも見える。
 仮に砂漠の国に、一本の桜があったとしたらそれはそれで不思議なもので、砂を握りしめその花を眺めてもどうということもない。
 
 
 
■ その先を歩いてゆくと、靖国がある。
 桜花という稚拙なロケットに若い兵士を乗せ、一式陸行の下にぶら下げられていた時代が少し前にあった。沖縄の海の傍でである。
 一式陸行は防弾装備を持たず、弾が当たると簡単に火を噴いた。
 辿りつく前にほとんどが燃えてゆく。
 
 
 
■ 桜の樹の下に、ひとりの女が立っていることがある。
 薄く笑ったり、腕を曲げていることもあるが、大抵はすこし若い。
 若くありたいと願うからだろう。
 着物は大抵赤色で、名を紅子というのだと聞いた。