ロッキード、オウム、ライブドア。
 
 
 
 
■ こう並べてゆくと、何処と何処が似ていて、またその構造が違っているのかが薄く分かったような気になってゆく。
 例えば「無罪推定」という論を張った人たちがオウム・地下鉄サリン事件の時にもいたが、そのことごとくは論破されていた。
 今ネットでその記録の一部は読むことができる。
 確かロッキード事件の際も同じだった。阿諛する。
 先日私は「夜と女と毛沢東」(吉本隆明:辺見庸:文春文庫)という本を、壊れかけたソファの上でめくっていたのだが、なんだかとても困った印象が残ったことを覚えている。飲む酒がなくなって、安いフランス製のグラスにラムを入れて嘗めていた。
 
 
 
■ ライブドア的な心性というのが、私は世の中に蔓延していると思っている。
 それは、例えばゲームの裏技を知っているともてはやされる小学生の世界にも似ていて、何処かに現実味がない。
 カルト経済の一変形だということもできるが、背後にはグローバリズムという時には大きな暴力を伴う世界の構造があって、ゆきつもどりつしながら歴史は動いているように思える。