ひとり、ふたり、夜の凪。
 
 
 
 
■ というコピーの「列島いにしえ探訪」の作品があった。
 最近、小林旭のCDを車の中に入れっぱなしにしていて、一月にはよく聴いた。
 名もない港に 桃の花は咲けど という出だしの奴である。
 男、夢敗れて北へ流れる。
 というのは旭の歌のひとつのモチーフであるが、これが四国であったり大阪でないところに、独特の綾のようなものがある。
 ふりむくと雲があったり、そこで故郷を思い出したり、好きなのだけれども君のためにさよならを言ったりする。
 ワルサーをポケットに、甲高い声でわおーん、と吠えているような曲もある。
 
 
 
■ 昭和30年代の半ば、都会は大卒のサラリーマンと集団就職で上京してきた多くの若者で構成されていた。
 時は高度成長の入り口、農村は解体されつつあった。
 ここには圧倒的な格差というか立場の違いのようなものがあり、例えば中産階級の家には大抵「勝手口」というのがあって、そこでお手伝いさんと御用聞きがふたことみこと言葉を交わしていた。そこから恋に落ちたという話もある。
 昭和天皇の弟だった高松宮邸の近くには、比較的古いマンションがあって何時だったかその間取りを見せてもらった時、入り口傍に四畳半程の部屋があり、そこに古い形式のインターホンが付属していたことを覚えている。
 尋ねると、そこは昔でいう女中部屋、お手伝いさんの住むところだったのだという。
 いわゆる住み込みであろうか。
 そういえば書生という言葉も使われない。
 
 
 
■ 是非はともかく、僅かの間に世間というのは変わる。
 何、アメリカだとて1950年代にはまだ公民権運動の手前であり、「夜の大捜査線」のシドニー・ポアチエが南部で苦労するに違和感はなかった。
 ラストでの列車の俯瞰。レイ・チャールズが歌うテーマ曲には感動した覚えがある。
 そこで何が言いたいかというと、ま、小林旭の曲を聴きながら、千葉の先あたりの名もない港で漠然としてくるのもいいのかな、という按配である。
 これが伊豆だとまた違うものになる。