Black Thursday.
 
 
 
 
■ 日本が金解禁を模索していた当時、アメリカの株価はゆるゆると上昇していた。
 日本で金融恐慌がおこる1927年(昭和2)、NY株式市場では株式投機が加速。
 ダウ平均381.17ドルと、その後長く破られなかったピークをつける。
 公定歩合が引き上げられたものの、株の投機的ブームは収まらない。
 歴史学者の中村政則氏は「昭和の恐慌」(小学館)の中で次のように言う。

「銀行、投資信託会社、株式取引所に対する政府の規制はずさんで、野放図な株価操作、投機が横行していた。一攫千金を夢みた投機師が跳梁し、みせかけの繁栄を作り出していたのである。
異常な株価騰貴につられて、ホテルのボーイやレストランのウェイトレスまでが株に手を出す始末であった」
 
 
 
■ 1929年(昭和4)年、10月24日木曜。
 NY株式市場は空前のパニックに陥る。いわゆる「暗黒の木曜日」(Black Thursday)である。
 休日空けの28日、29日と更に続落し、11月13日、主力株・花形株が底なしの最安値をつけ、平均株価は198.69ドルと、9月3日ピーク時の半分になっていった。値下がり総額は約300億ドル。その年のアメリカのGNPの三割に達する損失であったとされる。
 例えば「アメリカ電信電話」が、9月3日に304ドル。
 奈落の底と言われた、同年11月13日に197.5ドル。
 更に、1932年の最安値が70.25ドル。(日銀調査月報」昭和37年2月版より)
 
 
 
■ ここから先のことは、緑坂の読者であれば先刻ご承知の通りだろう。
 NYのクライスラー・ビル、エンパイア・ステートビルなど、代表的な摩天楼のいくつかはその時代に建てられている。三つ揃いのスーツを着て、街頭でりんごを売る天才投資家。
 この恐慌は、当初一過性のものとして受け取られていた。
 が、実際はそうではなく、日本で4年、アメリカで11年の長きに渡って国民を苦しめる。ニューディール政策から第二次大戦までの流れは、大筋でこの時に決まったと言っても過言ではない。
 俳優の原田芳雄さんは優れたブルース歌手でもあるが、その持ち歌の中に、夢を求めて世界を点々とする男の歌がある。NYからメキシコ、ジャマイカあたりへ流れる。
「一攫千金 宝石さがし ただのガラス球」
 確か作詞は阿木葉子さんではなかったろうか(未確認)。