- BREAKFAST AT TIFFANY'S -
    透明な子。
 
 
 
■ カポーティは1924年に南部の町、ニューオリンズに生まれた。
「サンダーバード号で見た南部」という作中の書名はそんなところから来ているのかも知れないが、NYでは一時ある種の遊び人として浮名を流す。
 本作は、カポーティが交際したこともあるマリリン・モンローをイメージして書かれたものだったという。マリリンも若くして一度目の結婚をしている。
 モンローといえば「バス停留所」などにもあるように、流れ者の気のいい踊り子という役柄がとても似合う。
 昔「鬼怒川マリリン」というストリッパーが日本にもいたという嘘もあるが、そのような伝説や亜流が生まれてもおかしくはない。日劇マリリン。北千住マリリン。
 遺作「荒馬と女」なども、そうした役柄だった。
 それらの個性は、手繰ってゆくとかなりの部分が彼女の生育歴から来ているものだが、ハリウッドやNYというのはアメリカの中でも特別な場所、ある意味でアメリカではないのだという指摘もあって、半ばはその通りかも知れないと私も思う。

 
 
 
■「ティファニーで朝食を」の原作にはこんな場面がある。
 ホリーと作家の卵ポールが南京町、つまりチャイナタウンからブルックリン・ブリッジをぶらぶらと歩き、夜景を眺めながらホリーが言う。
 
 今から何年も何年もたったあと、あの船のどれかがきっとあたし、いいえあたしとあたしと九人のブラジル人の子供を、またこのニューヨークへつれて帰ってくれるとおもうわ(略)あたしニューヨークが大好きなのよ。樹だって通りだって家だって、何ひとつほんとにあたしのものというわけじゃないけど、でもやっぱり、なんとなくニューヨークが自分のもののような気がするわ。だってこの街は、ぴったりわたしの性に合ってるんだもん(前掲:120頁)。
 
 NYが自分のもののような気がする。
 という台詞は、この街の特質を正確にあらわしている。
 夢と希望、それからなんだろうか。
 ふと思い出すと、例えばこの会話は、銀座のデパートの屋上で、浅岡ルリ子が裕次郎に語ってきかせているかのような印象も受ける。昭和30年代初めの日活映画。
 ポールは裕次郎ほどヒーローではないので、脇を固めていた役者が相応しいのかも知れないが、すぐに名前が思い出せない。
 推測であるが、当時の日活の監督も脚本家も、おそらくは本作に眼を通していたに違いない。ホリーという女性の造形は、戦後の一時期のある層や事象と重なっているかのように私には思えている。
 
 
 
■ このとき、ホリーはブラジル人の外交官との結婚を夢見ていた。
 弟が戦死した後、彼女は半分壊れてしまったのだ。
 素肌にレインコートをひっかけたまま、ドラックストアに買い物にいったりもする。
 不安を隠しながら、つとめて明るく話しているときの若い娘の声。
 この結婚は実らないのであるが、ホリーはブラジル人の彼のために自分が処女であればほんとうによかったのにと、ポールに言う。
 そのときは本当にそう思っているのである。