- BREAKFAST AT TIFFANY'S -
    サンダーバード号で見た南部。
 
 
 
 私はいつでも自分の住んだことのある場所?つまり、そういう家とか、その家の住所とかに心ひかれるのである。たとえば、東七十丁目にある褐色砂岩でつくった建物であるが、そこに私はこんどの戦争の初めの頃、ニューヨークにおける最初の私の部屋を持った。(「ティファニーで朝食を」新潮社文庫版:龍口直太郎訳:9頁)
 
 
■ すぐれた小説というのは、その書き出しで決まる。
 というよりも、ほんの数行で独特の世界に引きずりこんでしまうものである。
 覚えているのはいくつもあるが、例えばチャンドラーの「ヌーン街で拾ったもの」という中篇の出だしは確かこうだった。
「ヌーン街には黒人だけが住んでいるのではなかった。白人もまだ住んでいた」
 微細なところで違うかも知れないが、ほぼそういうことにしておく。
 例えばNYのハーレムが、1658年に作られた人口85万人の白人のための街、都市だったものが、次第に黒人やスパニッシュが集まって住むようになり、街の性質と外観が変わってゆくといったことを踏まえて読むと、成程そうしたことかと雰囲気が伝わる。
 東京もそうだが、都市というのは動いているものだからだ。
 
 
 
■ 東七十丁目というと、イースト70。真ん中にセントラル・パークを挟んでのアップ・タウンである。近くにはホイットニーやフリック美術館がある。マディソン街を抜けてゆけば、ティファニーまではそう遠くもない。
 原作でも、この辺りは高級アパートとして描かれている。現実にはそうでなくても、NYでは所番地がある意味を持つのだった。
 ブロックを下ってゆくに従って、あるいは通りを一本左右に逸れただけで、歩いているひとたちの肌の色と服装が異なる。場合によっては言葉もそうだった。
 映画の冒頭で、ヘプバーンはNYのタクシー、イエローキャブから降り立ってくる。
 早朝だ。原作の小説にこのシーンはない。
 当時のイエロー・キャブは確かチェッカーというメーカーの4気筒かV8だった。
 ロバート・デ・ニーロの映画「タクシー・ドライバー」にも使われていた、やや背の高い弁当箱のようなそれである。チェッカーは82年頃生産中止になる。
 最近はオデッセイも走っているが、多くはフォードで、OHVではあるがすこし抜けたリアサスペンションのまま、ブァンブァンとハドソン川沿いのミラー・ハイウェイなどを飛ばしていた。
 低速から腰が持ってゆかれるような加速は、OHVだからなのかとも思う。
 運転手は大抵訛があり、ダッシュボードにコーランが乗っていたことも何度もあった。
 
 
 
■ 原作でホリーの本棚には、「サンダーバード号で見た南部」、「ブラジルの脇道」、「ラテン・アメリカの政治精神」などの本が並んでいる。
 字面を追ってゆくと、カポーティが元々詩的な散文を得意としていたことが伺われる。 つまり、いいセンスなのだ。
 サンダーバード号というのは、フォード・サンダーバードである。
 小説の舞台になっている1943年にその車があったかというと、実は存在しておらず、初代が登場したのが1955年。コルベット・スティングレイに対抗して出された2シーターの豪華な伊達車だった。エンジンは430までオプションにある。
 小説が発表されたのが1958年。
 この辺りは、作者カポーティの願望かジョークということになる。都会派の作家は時々こういうことをして遊ぶ。
 7000CCを超す豪華なオープンのクーペでアメリカ南部を旅する、という設定なのだろう。
 当時の南部がどういうところだったかというと、髪を伸ばしてオートバイで南部を旅していただけで地元住人に撃ち殺される、「イージー・ライダー」は68年の作品であった。ニックという弁護士を演じた、ジャック・ニコルソンにはまだ毛があった。
 さらに、「ラテン・アメリカの政治精神」などになると、58年というのは冷戦真っ盛りキューバ危機の数年前であるから、酒の席でのジョークに近い。
 作中ホリーが漠然とした不安をあらわすのに「あのいやな赤」という言葉を何度も使っていることも微妙である。
 この小説のテーマのひとつに、「野生動物のような自由」というものがあるが、その対比としての全体主義の赤色とだけ捉えてしまうのは、果たしてどうか、やや陰影が足りないような気もしていた。