これから、どこへゆこう 4.
 
 
 
■ 都市というのは、ブロックひとつ隔てただけでがらりと印象を変える。
 面というよりも点でしか認識しない癖がついているのだと思う。
 ある程度うろついた後、私は仕事場に戻り、昼間の厄介の資料などをめくる。
 ひとつが小型車一台分の機械式時計であったり、ここまで修正するかねと呆れる化粧品の広告などを、いくばくかはうんざりしながら点検する。
 活字を眺めるには、また切り替えが必要だ。
 読者は、編集者が皆すばらしい暮らしをしていると思っているが、それは嘘であり、一部を除くと必需の友達はコンビニである。
 それらを知った上で、仮想の物語をつむいでゆくのだが、つまりひとは、現実そのものだけでも生きるのが難しいということかも知れない。
 ここから文芸や写真の世界で過去にあった、リアリズム論争などに遡ったりはしない。
 
 
 
■ 世の中は、またもうすこし傾いてゆくのだろうと思っている。
 97年や8年頃、「PLANET」という題で緑坂を書いていたが、その通りの世界になってきたのだなという感触がある。
 誰もが携帯を持ち、あるいはブログを開き、そこから何かが生まれるかも知れないと期待したりしなかったり。
 それは表層のひとつであって、水面下ではこの国はふたつに分かれてゆく。
 つまりその中で何を作るかということを、私は考えていた。