踊り子。
 
 
 
■ 下田逸郎さんに「踊り子」という名曲がある。
 下田さんにはかつて、渋谷の「ジャンジャン」で取材させていただいたことがあるが、随分とご無沙汰してしまった。
 下田さんと同年輩のTV局の方が、奴はねと裏話を聞かせてくれた。
 
 
 
■ さておき、私は、ネットというのは現実のある種投影でしかないと思っている。
 このことはくりかえし緑坂に書いた。
 普段何を食べているか、どんなところに棲んでいるか。
 年齢も性別も、社会的な属性も。
 すこし古い言葉で言えば、下部構造に対する上部構造のひとつではないかという気がしてならない。
 注意深く読んでいると、背後にある生活が透けて見えることがあって、だからどうしたということもないのだが、成程彼は勤め人なのだなと納得することも、ままあった。
 何か別のものになろうとすることは人間の本能なのか、そう簡単にくくって良いとは思えないが「存在が意識を決定する」というテーゼは、ネット時代にもう一度振り返ってみてもいい概念ではなかろうか。
 
 
 
■ 表現には必ずリスクが伴う。
 ある程度まで突っ込んでいった場合、必ず今あるなにものかのものと対峙することになって、ある種自分の存在を脅かす。
 分かりやすく言えば、勤め人であれば会社という組織であろうし、自営業であればクライアントであろうか。
 そこを泳ぎきることは結構な難事で、どこで折り合いをつけてゆくかを知るために酒があったりもする。
 誰もがネットに参加し何物かを送り出すことは可能だが、踊り続けることはまた別の次元の話だと思っている。