うろつきながら、わたしは不思議に思う。
■ 英国の古い歌に、それに似た題名のものがある。
さすらう、などと正直に書くと、この国では別のものになってしまう。
第一、恥ずかしいような気がする。
■ 冬のペルノーというのは、これがもし三十代の頃であったら、しゃらくさいものだったかも知れない。
だが、こちらは風邪を引き、顔が白く、布団があって妙齢が笑っていたら、もそもそと潜り込みたい気分だったのでどうでもよかった。
布団の中でパジャマに着替える、というような按配である。
ソムリエが、こないだのはどうでしたと言うので、んん、いまひとつだったと答えると彼は笑い、グリフィンズの短いものにする。
これは先が細くなっていて、母性本能をくすぐるかたちをしているのだが、どうも自分でカットをするに忍びない。
痛いんじゃないかと考えてしまうからだった。
彼にしてもらい、できあがったものに火をつけて漠然とする。