夢ざめの水。
■ ネットの黎明期の頃、無料HPというものが流行った。
上部に広告のつくそれで、メインは日記。その他に掲示板やチャットなどを掲載していた。
相互にリンクを貼り合い、毎日のように挨拶をしあう。
そこから恋が生まれたこともある。眺めていると、第一子の写真が出た辺りで更新が止まった。
HPの素材集というものが、人気を博したのもその頃である。
暫くたって、安価なオーサリングツールが販売され、10万円でMacを買うと誰しもWebデザイナを名乗れるようになった。養成のための学校が駅前に並ぶ。
■ ネットが社会のインフラのひとつとして認知される。
新しい技術が出て、大体それは技術的な敷居を低くするものである。
Webの構築費用はダンピングされていったが、実は一極集中も水面下では進んでもいた。つまり、優れた少数のものと凡庸な品質の多数とに分化する。この場合の品質とは、単に技術的なそればかりを意味しない。
同じことは、例えば写真の世界にも該当した。
新しい機種やソフトが出る度に、重箱の隅をつつくかのように議論がなされるのだが、技術的に正確であることと作品そのものの評価とはまた別である。
デジタル一眼を使っての通常撮影の単価は圧倒的に下がっていった。
■ 悪い夢をみていたんじゃないかな。
と、言ったエバンジェリストがいた。
エバンジェリストとは、特定のソフトなり技術を世に広めることを仕事にしている人間を指す。ITの世界特有の用語かも知れない。
仕事になった時期もある。でもそれからは。
彼らはいつの間にか属していた組織を離れ、半ば個人として活動を続ける。
あるソフトの分野で、忘れがたい彼がいるのだが、そういえば何年も会っていない。