地裁のパンチパーマ。
 
 
 
■ 先の緑坂 3360 で、地裁で会いましょうというようなことを書いている。
 緑坂の読者は大抵が大人であるから、その意味も黒く分かってもらえるものだと考えているが、すこしばかりキツイものであったかも知れない。
 まだまだ日本の社会というのは、訴訟その他が仕事のシステムその中に組み入れられている訳ではない。
 かつて中央公論社から「訴訟社会アメリカ」という新書が出ていた。
 これは名著であるのだが、そこで語られていることは、あらゆるものが訴訟の対象になる米国の法律制度というものが果たして我が国で根付くだろうか、という問いである。
 
 
 
■ あるとき、私は東京地裁へゆくことがあった。
 妙齢関係の厄介ではないかと勘ぐるのは、ある意味で理由もあるのだが、そうではなく、つまり被告の立場ではないことを申し沿える。
 ま、東京で長いこと仕事をしていれば、そういう機会も出てきます。
 久しぶりに出かけた東京地裁の風情は、私が歳を重ねたからだろうか、駐車場の守衛が自分よりもまだ若く、そしてすこしの訛りがあることに気づくことから始まる。
 ここは午前九時に並んでください。九時半になるともう満員ですよ。
 グレーのサングラス(プラダ)をかけ、よたよたと綿のシャツを着ている私に告げる。 ありがとうございます。そうします。
 霞ヶ関の界隈は、青いチョッキを着た警邏の警官で溢れている。
 小さな日の丸を車に貼っていればそれで通るかというと、そうでもないんだな。