長い旅を続けていると、何処なのかを忘れる。
    夢も古びてくる 2.
 
 
 
■ この車はボルボのP1800である。
 ネオクラシックともいうべき、2+2のクーペだが、エンジンは達磨のような4気筒で、アマゾンなどと基本的には同一だった。
 テールフィンが立っているのは、アメリカ向けに開発されたものだったからだろう。
 この後期、ボディの背後を伸ばし、ガラスハッチを付けたワゴンが出された。
 ボッシュの燃料噴射が付けられ、そこそこの馬力も出ていたが、ギアは前後屈伸運動を強いられるボルボ特有のものであった。つまりストロークが長い。
 
 
 
■ 私は30近い頃、このワゴンを捜していたことがあった。
 相当に高価だったので泣く泣く諦めた覚えがある。男の60回ローンなどという荒業を使う発想はなかった。今も原則としてない。
 というよりも、マニュアルしかなかったのが、既に都市部の夜を這いずり回っていた自分のスタイルに合わなくなっていたからかも知れない。根性がなかったのだ。
 
 
 
■ この車を始めて知ったのは、実は前にも書いた宮谷一彦さんの劇画からである。
 宮谷さんは当時、車や単車を描かせたら相当なものだった。
 80年代バブル期の「西風」さんなどの空白の絵柄とはまた違い、車自体に重さと、すこし血の匂いの混ざった湿り気があった。
 大藪春彦さん、一時期の五木寛之さん、そしてCGのエディターであった小林彰太郎さん。
 一見脈絡がなさそうに思えるのだが、彼らにとって車とは、ただ移動する手段だけのものでもなく、自らの精神の一部を仮託する道具であったようにも思える。
 それは、全てをブランド性だけで計る最近のなにものかでもなく、一方でMGBのキャブのジェットの番号をバーのカウンターで語り合う、スノビッシュなお遊びでもなく、多分精神が、その車とその向こうの世界を欲して乾いていたのではないかという気がしている。