犬のように。
 
 
 
■ 誰もいない、放課後の小学校の校庭を歩く。
 落ちているボール。
 手袋。
 水道の蛇口。
 
 
 
■ 阿佐田哲也さんが棲んでいた高輪のマンションを眺めにいったことがあった。
 今の事務所、白金台に越そうかと考えている頃で、当時私は伊皿子の辺りにいたから、なるべく近い方がいいと思ったのである。
 高輪は東京に長いひとは知っているものの、全国的にはそう知られた地名ではない。
 味のある名前がついた坂道がいくつもあって、蛇坂というのも近辺にある。
 阿佐田さんのいただろうそのビルは、当時はモダンだった風情が残り、駐車場には形の古い派手目な外車が並んでいた。
 
 
 
■ 犬のように女を扱うのは、ある意味で正しいことであるかと思われる。
 どうせ最後は、その犬がものを言い、飼い主を支配し、それから好きなようにしてゆくからである。ドサ健も、女衒の達も、それから坊や哲にしたって、ゆくゆくは腹が出て眼がかすみ、案外に孫の子守をしていたりする。
 それが悪いのかというとそうではなく、本当は犬に飼われるのも捨てたものではないと、梅毒で死んだ西洋の哲学者が書いていた。