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     女衒の達。
 
 
 
■ 画像がやや重いのでそのまま使うことにする。
 加工もメンドウである。キャッシュに入れば、続けて読むのに楽かも知れない。
 今表示されている画像の裏、昭和二十二年一月一日の「読売新聞」朝刊の二面にはこのようにある。
 
「近代文学を語る」(対談:正宗白鳥・宇野浩二・青野季吉)
 梅原龍三郎画伯の「裸婦デッサン」
「ことしを飾る花々―
「アメリカ映画でこれこそ1947年の第一線スタァと目されている三つ星―
 エヴェリン・ローズ
 ドロシー・マグワイヤー
 ジューン・アリソン」
 
 妖艶な美人が三人、モノクロで並んでいる。
 なかなか雰囲気があって、大変に宜しい。既にしてこの時分、こうした写真と話題は人々の強く求めるものだったようだ。
 その下には、「愛の宣言」という東宝映画の広告がある。イラストも善いのだが、その文案を引用してみる。
 
「新年おめでとう御座居ます あなたの新しき門出の為に真紅に燃える三つの青春をささげます」
「かつてない上原謙の美しさ。彼をめぐって命をかける清純、官能、愛欲の三人の女性の恋愛合戦」
 
 なかなか凄そうなものだけれども、実をいうと、ここまでくるのにたった二年しか経っていない。「神風まさに吹かん」「手は打つ腹一杯」からである。
 ここは文芸であるから、当時の代表的作家、坂口安吾、織田作之助などのことにも触れるべきだろうが、今回は見送る。
 話を戻す。「麻雀放浪記 青春編」にである。
 
 
 
■ この作品については、既に多くの方が文章を書かれている。
 熱烈なファンであった和田勉さんの監督で映画にもなった。
 加賀マリコさんが、オックスクラブのママ役をやる。
 ママは、旧制の中学を出たばかりの主人公、「坊や」が、一人前の男として独り立ちしてゆく過程で出会う、重要なキャラクターのひとりである。続編にも登場する彼女は、男にとっての定点観測のような存在でもあった。
 麻雀放浪記には、一体に記憶に残る台詞が多い。
 それは、書こうと思って書けるものでもなく、蓄積された生活と気持の密度から滲むものが、ある条件下で水滴となって滴るさまに似ている。
 
 
「僕は、所属するのは好かないな」
「そうね、あンたはそうらしわ。あンたはきっと、誰とでも五分に対しなければならないと思っているんでしょう。あンたは小さくても独立国でいたいのね。そうなりたくて、博打なんかに興味を持ったんでしょ。つまり、悪いけど、子供っぽいのよ」
「――――」
「でもこの世界の人間関係には、ボスと、奴隷と、敵と、この三つしかないのよ」
(阿佐田哲也著:「麻雀放浪記 青春編」:角川文庫版:54頁)
 
 
 この憎々しさを画面で表現できるのは、昭和がまだ半ば過ぎの頃、六本木の「野獣会」などで鳴らした加賀さん以外にはないだろう。
「子供っぽいのよ」
 と、忘れずに付け加えるところに、阿佐田さんの大人の目を感じる。今も随分の無頼小説はあるけれども、今一つ読み応えなく感じてしまうのは、こうした苦い視線に欠けるところがあるからかも知れない。
 麻雀放浪記の面白さは、生命力が原始的なかたちで顕れているところである。
 勝負のこと。男と女の関係。市民社会とそうでないものとの対比などが、これほどくっきり描かれた時代も小説もない。
 麻雀のことは一切わからなくても、そこにあるドラマを読み進めるに従って、自分がどこかに忘れてきた牙や喪失感のようなものを思い出す。
 しぶとく生き延びるための本能的な何ものかを、読者は、「博打打ち」という悪漢の世界に身を置くことによってかりそめに会得しようとする。
 
 
 
■ ところで、私は、どうしてこの年末の押しつまった時にこのようなものを書いているのか。
 薄々は分かっているのだが、それを無理矢理言葉にしてみる。
 1998年という年は、今進んでいる世の中の構造的な変化が、随分と加速するような気がしてならない。
 それがはっきりしたのは、97年の秋頃だと思う。何処かで無意識に頼っていた航空母艦が沈んだ。時代の臓物が誰の目にもはっきりしつつある。
「麻雀放浪記」にはこんな台詞がある。
 ドサ健が博打に負ける。自分の女を売り飛ばそうとクダを巻く。居酒屋の親父に毒づく場面である。
 
「手前っちは、家つき食つき保険つきの一生を人生だと思っていやがるんだろうが、その保険のおかげで、この世が手前のものか他人のものか、この女が自分の女か他人の女か、すべてはっきりしなくなってるんだろう。手前等にできることは長生きだけだ。ざまァみやがれ、この生まれぞこない野郎」
 (前掲:298頁)
 
 今、本質的な保険などというものはない。
 
 
▼註・画像は昭和二十二年一月一日の読売新聞一面。文字をコラージュ。
○昔坂
 初出は読売新聞社 yominet 「緑色の坂の道」
 97年12月27日。